• 【由緒】

子安神社は天平宝字三年(759年)に橘右京少輔という者が時の天皇のお后さまの安産祈願のために創建したと伝えられています。ご祭神は「木花開耶姫命」であり、神話において、自ら火を放った産屋で無事に出産した神様として知られています。
それ故、今日まで子安神社は安産の神社として崇敬を集めています。
 また古来より武将からの尊崇も篤く、源義家が奥州下降の際には戦勝を祈念して欅(けやき)を船形に植樹しており、今でも境内には多くの欅が生い茂っています。 船形に植樹した欅はやがて森となり、子安神社に隣接する船森公園や船森保育園等、現在に至るまで「船森」という名で地名として残っています。
 近世では徳川家光以降代々の将軍家から朱印を受けており、それ故、当社の御紋は徳川家の家紋である三つ葉葵です。
 明治五年に政府より村社という社格を与えられ、さらに昭和十八年には郷社に昇格しました。※現在はこの社格制度は廃止

〈2度の火難からの再興〉
 明治30年に八王子において未曾有の大火事が発生し、子安神社の社殿は全焼しました。しかし、社殿裏手に鎮座する金刀比羅神社の本殿は土蔵造りのために焼失には至らず、現在も江戸時代に創建された当時のままの建物であります。※拝殿部分は昭和に増築。
 その後、子安神社の社殿は再建されるものの、再び第二次世界大戦における空襲によって、またも社殿は全焼してしまいます。神社を囲むように植えられている欅の木々の火傷の跡が社殿の方角を向いており、当時の火災の勢いが伺えます。
 現在の社殿はその後に創建されたもので築およそ70年です。当時、台湾ヒノキの国内輸入第一陣の木材が使用されており、非常に貴重な建物です。












  【ご祭神】