子安神社 由緒

当神社は当市最古の歴史を持ち、今を去る千二百余年、青丹よし奈良の都は天平宝字三年、橘右京少輔なる者、時の帝の皇后の御安産祈願のため草創したと伝えられ、以後安産の神として近郷の崇敬はもとより、古来の武将の尊崇篤く八幡太郎義家奥州下降の砌、戦勝を祈念して欅十八本を奉納、これを船形に植樹した事により、以降この森を船森と称し、鎌倉時代末期には楠正成の居城として、難攻不落とされた赤坂城合戦の折の勇士として太平記の美分に綴られた、人見四郎入道光行寄進の神櫃があり、近世では徳川三大将軍家光以降代々の将軍家より、朱印を受けた事により、三つ葉葵を当社の紋にして使用しております。近くは明治五年、時の政府より村社に列せられ、さらに昭和十八年郷社に昇格せられました。古来、八王子は素より多西郡と呼ばれた多摩川の西側の総鎮守として崇敬を蒐めております。




御祭神   木花開耶姫命 天照大御神 素盞鳴尊 大山咋命  奇稲田姫命


例祭日   9月20日